2012年御翼1月号その1

笑いを生み出す人は、神の仕事を実践している 福音落語・露のききょう

 世界でただ一人、プロの落語家として、福音落語を語るのが、クリスチャンの露のききょうさんである。「お笑い」に関して、英国の聖書学者ウィリアム・バークレーは以下のように記している。

笑いによる奉仕はたしかにある。
わたしは偉大な笑いの製造者たちに対して、深い感謝の気持を抱いている。彼らもまた人に仕え、神に仕えているのである。なぜか一時間でも、人びとの生活に陽光をもたらすものは、大いに価値あることをやっているわけだからである。             
笑いは神の大いなる賜物の一つである。ここに三つの問がある。
あなたは人びとを笑わせることができますか。
グループや仲間のなかにその人がいると、たちまちみんなが愉快になって笑いだす、いやその人に会うだけで幸福を感ずる、といったそういう明るい人がいるものである。またそれとは反対に、冷水のような、黒雲のような、会っただけでひんやりする人がいる。笑いを生み出す人は、神の仕事を実践しているのである。
人に笑われても平気でいられますか。
笑われるとひどく腹を立てる人がいる。また、笑われるとすぐにカッとする人がいる。クリスチャンは、イエスへの忠誠のゆえに、世間の人から馬鹿だと思われることがある。クリスチャン生活のむずかしさは、一つには、ここにある。笑われてもそれに耐えることができるようになるためには、謙遜と勇気が必要である。謙遜と勇気、この二つはおそらく人間最高の美徳であろう。
あなたは自分を笑うことができますか。
いろいろな意味で、人生における最大の賜物は、自分を笑うことができるという能力である。ときどき自分がどんなに馬鹿げたことをやらかすか、どんなにこっけいな姿を見せるかをはっきり見てとって、自分のおかしさを自分で笑うことができたなら、人生はずっと生きやすいものになるだろう。

 露のききょうさんは、落語に入る前に、必ずご自分の信仰の証しをする。その中で、福音落語を始めた父親・露の五郎の生い立ちや、祖母の家庭環境などを、笑いを誘いながら謙虚に語られた。そこに、イエス様に救われた品性を感じる。また、前日、転んで足を骨折されたにもかかわらず、痛み止めを打ちながら、明るく語られたところに、人々を救いに導く使命感を感じさせた。会場には、人からの賞賛もあったが、それ以上に、神から来る誉れが満ちていた。

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